Board×Break世界観

Board×Breakの背景とか登場人物のストーリーとか色々載せていくページです。画像は随時追加して行きます。

1. 舞台背景

2018年日本、偉人の聖遺物を持つ事でその思念を具現化し、偉人を憑依顕現させる事が出来る人間が存在する事が判明した。これに目を付けたとある機関は極秘裏に当該の対象者と聖遺物を接収しこれを隔離。非人道的とも言える処理を施し研究を行うと同時に他の聖遺物についても調査を開始、順調にこれを収集していった。機関は各国へと展開、20年後の2038年、複数の偉人を憑依顕現させていく中で、とある偉人からBoardBreakの存在を知る事になる。それは万物を超越し、人類を破滅に導くとも言われるモノ。それが聖遺物なのか概念的な何かなのかは判明してはいない。ただ、その偉人は言った。戦えと。聖遺物を使い偉人を顕現させ、殺し合わせろと。さすれば汝らが求めるモノは手に入るだろう、と。これが第一次BoardBreakWarの幕開けであった。

2.物語

3.登場人物

プレイヤー

自分もしくは兵士を媒体に偉人を顕現させる力を持つ。謎の記憶に導かれ第二次BoardBreakWarに参加する事になった。BoardBreakWarはとある機関が運営する戦いの場である事を知ると同時にBoardBreakの存在を知る事になる。機関は偉人の力を使えるモノをプレイヤーと呼ぶ。これは貴方自身の物語。「記憶を手繰って来てはみたけど…どうにも胡散臭い連中だな」

兵士

BoardBreakWarを運営する機関から派遣された兵士。プレイヤーの初期駒となる。原点にして頂点。この兵士を使いこなせるかで勝敗が決まると言っても過言ではない。スリーマンセル。「サーイエッサー!」「おい、早く行けよ!」「うるせぇ押すんじゃ無い!おいっやめろ!俺が見切れてるだろ!」

ビリー・ザ・キッド

ニューヨーク生まれ西部のニューメキシコ育ち。真実にして歴史。犠牲者21人。無法者の王 若者は思うがままに生きて、死んだ。第一次BoardBreakWarで前の主を亡くしている様だが…。息をつかせぬ速さで連続射撃を行う事を得意とし、現代において自分と同じく、顕現しているであろうバット・マスターソンを探している。「お前が新しい主って訳か…俺が手を貸すからには絶対勝ち残って貰うぜ、どんな手を使ってもな」

ハンニバル・バルカ

古代カルタゴの将軍であり、ローマと数十年に渡り戦闘を行う。戦術家としての才能に優れ、現代でさえも各国の軍隊組織から参考にされる。顕現当初は力が強すぎて制御が難しいという理由から聖遺物を厳重に保管し、プレイヤーとの接触を禁止としたが、機関の上層部の指示により、第二次BoardBreakWarから参戦する事となった。この方針の変更理由は機密情報として極限られた者しか知りえない。その噂に違わぬ手腕により敵兵を懐柔し己が戦力とする事を得意とする。「スキピオ君、いい加減そこを退いて貰おうか、オードブルに間に合わなくなるのでね」

シエナのカテリーナ

7歳の時に彼女はイエス・キリストの夢を見た。キリストから宝石の冠と茨の冠を差し出され、カテリーナはキリストの前にひざまずき、茨の冠を選んだという。カテリーナの両親は、娘に女性として普通の人生と結婚を望んだが、その願いに反し、彼女は十代後半から一生を、祈りと瞑想と独りで暮らすことに全て捧げることにした。第一次BoardBreakWarでは仲間が倒れる程、その不幸を糧に、残された者の運命に幸福を齎す事から悪辣なる聖女と呼ばれた。第二次BoardBreakWarへの参加も彼女の意思である。「幸福も不幸も両方を持ってお行きなさい。どちらかでは道に迷ってしまうから」

ヘクトール

ヘクトールは、ギリシア神話の英雄である。トロイアの王子であり、「兜輝くヘクトール」と謳われたトロイア戦争においてトロイア側最高の英雄である。 圧倒的な兵力を誇るアカイアを相手取るために、老いた父王に代わって軍を纏めあげた。第二次BoardBreakWarから参戦。敵への近接攻撃を得意とし、一瞬で間合いを詰め、一撃を与える事を得意とする。「ああ?運命を操る女だって?めんどくせぇ、とりあえず斬ってみればいいじゃねーか。ついでにそのまま陣地も貰っちまおうぜ」  

オットー・フォン・ビスマルク

オットー・エドゥアルト・レオポルト・フュルスト(侯爵)・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼンは、プロイセン及びドイツの政治家、貴族である。プロイセン東部の地主貴族ユンカー出身で、プロイセン王国首相、北ドイツ連邦首相、ドイツ帝国首相を歴任した。ドイツ統一の中心人物であり、「鉄血宰相」の異名を取る。第一次BoardBreakWarでは、敵の手の内を看破する事で戦意を喪失させた事もある。しかし、ハンニバル・バルカとの戦闘では兵を奪われ、退陣を余儀なくされた。惨敗ではあったが、バルカの実力を認めており、本人は納得している様子である。「ふむ、ビリー・ザ・キッドとか言ったか?切り札のつもりか知らないが、隠しても無駄だ。私にはお前の考えが全て分かっているからな…」

ハリエット・タブマン

メリーランド州ドーチェスター郡で奴隷として生まれたハリエット・タブマンは、勇敢にもペンシルベニア州フィラデルフィアの安全な場所まで走って逃げ込むことにより奴隷制度と決別した、驚くべき女性である。1850年に逃亡奴隷法が成立して脱走奴隷を助けることが違法になったとき、タブマンは、奴隷を自由にする活動をしている人々の組織である「地下鉄道(Underground Railroad)」に加わる決心をした。1861年に南北戦争が勃発すると、彼女は連合軍の看護師、スパイ、斥候として任務にあたった。「地下鉄道」の「車掌」だった時の経験から、地方の事情に詳しかったため、彼女は斥候として特に高く評価された。第二次BoardBreakWarでは、仲間の指揮を執り相手の陣地を速やかに制圧する事に長けている。「諦めるなっ、まだ決着はついてないよ!」

バット・マスターソン

1853年11月26日生まれは、東部で成長し農業に携わっていたが、18歳の時、バッファロー・ハンターになるため、兄のエドと弟のジムを伴って西部へ向かった。21歳の時、兄のエドとバッファロー狩りに行き、インディアンの襲撃にあったが、囲みを突破して撃退した。これが〝アドウブ・ウォールの戦い〟で、マスターソンの名前は一時に高まった。その後、陸軍の斥候として働く。第一次BoardBreakWarでは、銃の腕を存分に振るい数多の敵を屠った事で知られている。第一次でスナイパーからの狙撃で足に重症を追いながらも生き残った。しかし、彼自身の目的を達する事が出来なかったらしく、第二次への参加を決めた。現在は足も回復し、問題は無いようだ。「有名になっても直ぐに忘れ去られちまうのさ、なんせ俺を知った奴はみんな死んじまってるんだからな」

リュドミラ・パヴリチェンコ

1916年7月12日 - 1974年10月19日)は、ソビエト連邦の軍人、狙撃手。第二次世界大戦においてソビエト赤軍が数多く登用した女性狙撃手の中でも、確認戦果309名射殺という傑出した成績を残した史上最高の女性スナイパーである。1943年にソ連邦英雄受賞、最終階級は少佐。1941年、バルバロッサ作戦に拠ってドイツ・ルーマニア・ハンガリー・イタリアによるソ連領への侵攻が開始されると、まだ大学に在籍中だった24歳のパヴリチェンコはキエフ市内の赤軍事務所へと赴き入隊を志願する。希望する配属先は勿論の事狙撃手であった。比較的安全な従軍看護婦としての選択肢もあったが、パヴリチェンコ自身がそれを拒絶した事を後に語っている。第一次BoardBreakWarでは、長距離射撃による相手への牽制を得意とし、スナイパーとしての腕を見せた。その後各地を放浪している所を機関に回収され、第二次BoardBreakWarへと強制的に参加させられる。「別に殺したい訳じゃないわ、結果として相手が死んだだけよ」こうは言っているが、撃たれた相手は殆どがヘッドショットだった事から察して欲しい。他の偉人と馴れ合う気は無いらしい。

バステト

その名前の意味は、「ブバスティスの女主」である。バステトは、猫の女神として知られる。しかし初めは、猫ではなく雌ライオンの頭部を持った姿で崇拝された。紀元前1000年頃に猫の姿あるいは、猫の頭部を持つ人間の姿とされるようになった。人間の姿の場合は、しばしば手にシストラムという楽器(子供をあやすガラガラのような楽器)、盾、籠を持っている。猫は、古代エジプト人が初めて家畜化した動物と言われている。エジプト先王朝時代の紀元前6000年頃、ヒエラコンポリスの貴族墓より猫の骨が発見されている。また紀元前4000年紀後半には、家畜化されていたと考えられている。このことから初めは、ライオンの神として攻撃的な性格を持っていたが他のライオンをモチーフとした神と差別化され、穏やかな神になったと言われる。通常、バステトは、太陽神ラーの娘あるいは、妹や妻とされることもある。第二次BoardBreakWarへの参加は気まぐれ。機関でも行方を追っていたが、突如出現した。特殊な移動で相手を霍乱する事に長ける。但し、当人にその意識は無い。「にゃにゃにゃにゃ!」

アレイスター・クロウリー

1875年10月12日 - イングランドのウォリックシャー州レミントン・スパーにて、ビール酒造業者の家に生まれ、エドワード・アレグザンダー・クロウリーと名づけられる。両親はエクスクルーシブ・ブレザレン(イングランド国教会から分離したカルヴァン主義の一派)の信徒であった。奔放な活動で物議を醸し、マスコミに「世界で最も邪悪な男」 (the wickedest man in the world) などと書き立てられた。タロット愛好者の間では、名作トート・タロットの考案者として知られ、ヘヴィメタル・ファンには、オジー・オズボーンの楽曲「ミスター・クロウリー(死の番人)」(『ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説』収録)のモチーフになったことでも知られる。また、自身を魔術師エリファス・レヴィの生まれ変わりと称していた。BoardBreakの存在を機関へ教え、第一次BoardBreakWarへ導いたのは彼だと言う者もいる。但し、BoardBreakについては機密性が高く断片的にしか情報が無い事から信憑性は薄い。彼と会話した研究者が数時間後に死亡している事からその様な噂が立ったのかもしれない。「運命とは歯車の様なものさ、ならば壊す事もできよう」

アドルフ・ヒトラー

アドルフ・ヒトラー(ドイツ語: Adolf Hitler, 1889年4月20日 - 1945年4月30日)は、ドイツの政治家。ドイツ国首相、および国家元首であり、国家と一体であるとされた国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の指導者。1933年に首相に指名され、1年程度で指導者原理に基づく党と指導者による一極集中独裁指導体制を築いたため、独裁者の典型とされる。その冒険的な外交政策は全世界を第二次世界大戦へと導くことになった。また、ユダヤ人などに対する組織的な大虐殺「ホロコースト」を主導したことでも知られる。敗戦を目の前にした1945年4月30日、自ら命を絶ったとされている。ヒトラー家の出自については謎が多く、本人も「私は自分の一族の歴史について何も知らない。私ほど知らない人間はいない。親戚がいることすら知らなかった。(中略)...私は民族共同体にのみ属している」と語っている。出自について詮索される事も非常に嫌い、「自分が誰か、どこから来たか、どの一族から生まれたか、それを人々は知ってはいけないのだ!」と述べており、妹パウラは「兄には一族という意識がなかった」としている。ヒトラーの聖遺物とされる手記はかなり早い段階で機関の元にあったがそれを顕現出来る人物がいなかったため、保管されるに至った。しかし、とある研究者の遺族が機関に召集された際に共鳴し顕現した。そのため第二次BoardBreakWarに意図せず参加する形となる。他の偉人に敬意を払っている面も見られるが、一般兵士には容赦が無い。「BoardBreakか、下らん。その様な物がなくとも私の説得によって統治してくれよう」

フローレンス・ナイチンゲール

1820年、裕福なジェントリ(地主貴族層)の家庭に生まれる。幼少期は、外国語、ギリシア哲学、数学、天文学、経済学、歴史、美術、音楽、絵画、心理学、詩などの教育を受ける。しかし、慈善訪問の際に貧しい農民の悲惨な生活を目の当たりにし、人々に奉仕する仕事に就きたいと考えるようになる。1851年、精神を病んだ姉の看護をするという口実でドイツの病院付学園施設に滞在。その後、看護師を志してロンドンの病院に就職。父は就職に理解を示したが、母、姉は反対であった。婦人病院長となったナイチンゲールは各地の病院の状況を調べ、専門的教育を施した看護師の必要性を訴える。当時、看護師は、病人の世話をする単なる召使として見られていた。1854年にクリミア戦争が勃発。負傷兵の扱いが悲惨な状況にあり、戦時大臣はナイチンゲールに戦地への従軍を依頼。ナイチンゲールはシスター、職業看護師の女性を率いて後方基地にある病院へ赴任。看護師の総責任者として活躍する。その働きぶりから「クリミアの天使」、夜回りを欠かさなかったことから「ランプの貴婦人」と呼ばれる。BoardBreakWarの参加に消極的だったものの、負傷した兵士や死者が機関へと運ばれてくる現状を嘆き、参戦を決意した。顕現したタイミングから第二次からの参戦となった。「微力ながら、私も彼等の治療のために力をお貸しします」

カラミティ・ジェーン

1856年、彼女はマーサ・ジェーン・カナリーとしてミズーリ州プリンストンのマーサ・カウンティに生まれた。彼女の両親(ロバート・Wとシャーロット・カナリー)はプリンストンの北西11キロメートル(7マイル)にあるラヴァーナのはずれに住んでいたとアメリカ合衆国国勢調査局の1860年の国勢調査記録で判明している。彼女には2人の弟と3人の妹がおり、彼女は6人姉弟の長女だった。軍人の制服を身につけ、彼女は斥候として働き始めた。彼女の伝記によると、彼女はカスター将軍と一緒になったとある。歴史家が指摘しているように、彼女の発言には誇張傾向があり、自分の功績を詐称している。またカスターがラッセル砦に駐留したという記録は全くない。ある情報では彼女はワイオミング州のフェッターマン砦 (Fort Fetterman) へ配属され、ジョージ・クルック将軍と一緒に働いたとされているどの情報が本当であっても、このときは彼女が男装を始めたときである。彼女はこう述べている。「これまで、私は自分の性別に合った服を身に着けてきた。カスターの軍に加わったとき、私は軍人の制服を身に着けた。それは最初不器用だったが、すぐに男たちの宿舎で完全な男の出で立ちとなった。 」第二次BoardBreakWarからBoardBreakに興味を持ち参戦。他の偉人に協力を求める姿が見られ、何かを企んでいる様子。「普通の戦争と違って、えらく面白そうじゃないかい」

ジャック・オー・ランタン

生前に堕落した人生を送ったまま死んだ者の魂が死後の世界への立ち入りを拒否され、悪魔からもらった石炭を火種にし、萎びて転がっていたカブ(ルタバガ)をくりぬき、それを入れたランタンを片手に持って彷徨っている姿だとされている(ウィル・オー・ザ・ウィスプ)。また、悪賢い遊び人が悪魔を騙し、死んでも地獄に落ちないという契約を取り付けたが、死後、生前の行いの悪さから天国へいくことを拒否され悪魔との契約により地獄に行くこともできず、カブ(ルタバガ)に憑依し安住の地を求めこの世を彷徨い続けている姿だともされている。旅人を迷わせずに道案内をすることもあるという。第二次BoardBreakWarの戦いの最中に突如出現し、その能力から戦場を荒らした。第一次BoardBreakWarで戦死した偉人の名を語っているがその真意は不明である。「ンフフフゥー、ハッハー。キミハコレカラナニニナルデショー?ソレハボクニモワッカラナーイ」

ヴラド・ツェペシュ

ヴラド3世は1431年(1430年説もある)11月10日、トランシルヴァニア地方のシギショアラでバサラブ朝ドラクレシュティ家の祖・ヴラド2世(通称:ドラクル=竜公、悪魔公とも)の次男として生まれた。トランシルヴァニアやモルダヴィアとは複雑な関係であり、ワラキア領内での粛清も多く、ヴラドはオスマン帝国軍のみならず自国の貴族や民も数多く串刺しにして処刑したと伝えられる。串刺し刑はこの時代のキリスト教国、イスラム教国のいずれにおいても珍しいものではなかったが、あくまで重罪を犯した農民に限られた。しかしヴラドの特殊性は、反逆者はたとえ貴族であっても串刺しに処したところにある。通常、貴族の処刑は斬首によって行われるが、あえて串刺しという最も卑しい刑罰を課すことで、君主の権威の絶対性を表そうとしたと考えられている。ヴラドを串刺し公と最初に呼んだのは、1460年ごろヴラドの串刺しを目の当たりにしたオスマン帝国の兵士であり、トルコ語で「カズィクル・ベイ」(カズィクルは串刺し、ベイは君主)という。このカズィクル・ベイのルーマニア語訳がツェペシュである。また、今日の異常者というイメージは後述するハンガリーによるプロパガンダの影響が大きい。その力は顕現した時点でかなり衰えており、機関は戦闘に向かないとして一時保護としBoardBreakWarにはかませ犬として出場させる決定となっていた。しかし、その予想は大きく裏切られる事となる。「腹が減っては戦は出来ぬ、と言うのだろう?今の余には血が必要だ」

フィンセント・ファン・ゴッホ

ファン・ゴッホは、1853年、オランダ南部のズンデルトで牧師の家に生まれた(出生、少年時代)。1869年、画商グーピル商会に勤め始め、ハーグ、ロンドン、パリで働くが、1876年、商会を解雇された(グーピル商会)。その後イギリスで教師として働いたりオランダのドルトレヒトの書店で働いたりするうちに聖職者を志すようになり、1877年、アムステルダムで神学部の受験勉強を始めるが挫折した。1878年末以降、ベルギーの炭坑地帯ボリナージュ地方で伝道活動を行ううち、画家を目指すことを決意した(聖職者への志望)。以降、オランダのエッテン(1881年4月-12月)、ハーグ(1882年1月-1883年9月)、ニューネン(1883年12月-1885年11月)、ベルギーのアントウェルペン(1885年11月-1886年2月)と移り、弟テオドルス(通称テオ)の援助を受けながら画作を続けた。オランダ時代には、貧しい農民の生活を描いた暗い色調の絵が多く、ニューネンで制作した『ジャガイモを食べる人々』はこの時代の主要作品である。BoardBreakWar自体には興味が無いが、そこで戦う偉人達には興味があるらしい。彼の振るう筆は事象を改変する力があるものの、気まぐれで時として自身を危機へと追い込む事もある。もっとも、彼自身は気にも留めていないようだが…「僕がいなくなってから50年以上が経っているなんてね、著作権ってやつも切れているんだろ?なら新しい絵を描かないとね、そこの君…絵のモデルになってくれよ」

平陽昭公主

平陽公主(へいよう こうしゅ、? - 623年)は、中国の唐の高祖李淵の三女。本名は不詳、封号が平陽、諡号が昭で、通常はこれをひとつにして平陽昭公主(へいよう しょう こうしゅ)と呼んでいる。娘子軍を率いて父を助けたことで知られる。李淵と竇皇后の間に生まれた。本名は知られていない。成人すると、柴紹に嫁いだ。617年、父の李淵が太原で起兵したとき、夫の柴紹とともに長安にいた。公主は一計を案じ、柴紹には間道を抜けて太原に向かわせ、自分は鄠県に逃れた。家財を散じて兵を募り、数百人を得て、父の起兵に呼応した。ときに何潘仁が司竹園に拠って総管を称していたが、公主は家奴の馬三宝を派遣して降し、ともに鄠県を攻めた。また武功・盩厔・始平を経略して、李仲文・向善志・丘師利らを下した。部衆に法の遵守を誓わせ、略奪を禁じたので、関中近隣で公主につくものが多く、兵7万に及んだという。李淵の唐軍が黄河を渡ると、公主は渭北で李世民の軍と合流した。柴紹と公主は幕府を対置して、長安の平定にあたり、公主の部衆を娘子軍と号した。李淵が唐朝を建てると、平陽公主に封ぜられた。第二次BoardBreak に興味が無いが、顕現主であるプレイヤーの目的を達する為に協力している様子。「その様な攻撃に当たるとでも?莫迦にするのも大概にして欲しいものじゃ」

忠犬ハチ公

ハチは、飼い主が死亡した後も駅前で帰りを待ち続けた「忠犬」として知られる。突如、渋谷駅前に現れ故主を待つようになったハチは、通行人や商売人からしばしば虐待を受けたり、子供の悪戯の対象となっていた。故主 から10年近くが経った1935年(昭和10年)3月8日午前6時過ぎ、  ハチは渋谷川に架かる稲荷橋付近、滝沢酒店北側路地の入口(2018年9月13日~渋谷ストリーム駐車場入り口付近)で死んでいるのを発見された。ここは渋谷駅の反対側で、普段はハチが行かない場所であった。現在の渋谷警察署向かいの山下書店(2018年9月~セブンイレブン渋谷駅東口店)にある橋である。東京・渋谷をはじめ、ゆかりの地には像が置かれており、渋谷駅前のハチ公銅像はいつしか待ち合わせの目印として使われるようになり、その銅像周囲は待ち合わせ場所として「ハチ公前」などとして親しまれている。ハスキー犬が第一次BoardBreakに紛れ込んでいたのを職員が追い出そうとしたところ、瞬間移動で回避した事で顕現が発覚。おそらく忠犬ハチ公ではないか?と言われている。第一次BoardBreak後、行方不明だったが、第二次BoardBreakにも同じように紛れ込んで来た。恐らく主人を探しているのだと思われる。「わんわん!わわーん!」

ジャンヌ・ダルク

ジャンヌは現在のフランス東部に、農夫の娘として生まれた。神の啓示を受けたとしてフランス軍に従軍し、イングランドとの百年戦争で重要な戦いに参戦して勝利を収め、後のフランス王シャルル7世の戴冠に貢献した。その後ジャンヌはブルゴーニュ公国軍の捕虜となり、身代金と引き換えにイングランドへ引き渡された。イングランドと通じていたボーヴェ司教ピエール・コーションによって「不服従と異端」の疑いで異端審問にかけられ、最終的に異端の判決を受けたジャンヌは、19歳で火刑に処せられてその生涯を閉じた。ジャンヌが死去して25年後に、ローマ教皇カリストゥス3世の命でジャンヌの復権裁判が行われた結果、ジャンヌの無実と殉教が宣言された。その後ジャンヌは1909年に列福、1920年には列聖され、フランスの守護聖人の一人となっている。ジャンヌは、王太子シャルル(後のシャルル7世)を助けてイングランドに占領されていたフランス領を奪還せよという神の「声」を聞いたとされている。これを信じた王太子は、イングランド軍に包囲されて陥落寸前だったオルレアンへとジャンヌを派遣し、オルレアン解放の任に当たらせた。フランスから持ち込まれたジャンヌの聖旗の切れ端から顕現したとされている。プレイヤーはそれをどこで入手したか覚えておらず、第一次BoardBreakでは存在すら認識されていなかった。第二次BoardBreakに参加する理由も不明だが、やはり彼女の神とやらに関係しているのだろうか…「…そこを退きなさい!主の御心のままに…」

※登場人物は随時追加していきます。

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